日语小文章

2020-03-02 11:47:28 来源:范文大全收藏下载本文

夢の夕食(1)

友達と映画を見るために、日比谷シャンテの前で待ち合わせをした。彼女は私の顔を見るなり言った。

「お腹が減って死にそ。後でおいしいお寿司屋さんに案内するから、とりあえずハンバーガー店に買って行こうよ」

私と彼女は近くのハンバーガー店に入った。カウンターにはお客が行列を作っている。最後尾に並びながらふと店内を見ると、近くの席で銀髪のアメリカ人夫婦が向かいあってハンバーかーを食べていた。ブラスチックのトレイの上にはハンバーガーとコーラとフライドポテトがのっている。年の頃、六十代の半ばだろうか。二人は何を話すということもなく、ただ黙ってフライドポテトを食べ、コーラを飲んでいる。すると、妻のほうがバッグを開け、ティッシュペーパーを出して。その時、バッグの中にパスポートがチラッと見えた。

私は何だが胸が痛くなった。都内のハンバーガーやフライドチキンの店では、よく外国人老夫婦の旅行者を見る。見るたびには私は「ごめんなさい」と言いたくなる。

彼らだってきっと懐石や美しい日本料理を食べたいに違いない。しかし、この国の物価は半端ではないのである。まして、日本の趣味の料理屋で懐石ともなれば、外国人には気絶しそうな値段であろう。老夫婦は子育てを終え、仕事の第一線から退いた今、蓄えた金で夢を見て日本に旅してきて、そこで食べるものはがハンバーガーとコーラとは夢にも思っていなかっただろう。もとよりアメリカから来た手軽な食べ物である。それが夕食ではどんなにかみしめだろうと思う。

しばらくすると、ジーンズとTシャツの若いアメリカ人の男が二人入ってきた。一見して旅行者とわかるが、若いのでこちらも「はんばーがーで当然」という感じで気楽で1

ある。すると、若い二人と老夫婦の目が合った。そして一瞬のうちにお互いに目をそらした。見てはいけないものを見た気がして、私も目をそらした。今夜は「おいしいお寿司」は食べたくなかった。

プレゼント(2)

女友達が浮かぬ顔をしている。どうしたのかと聞いたら、彼女はため息まじりに話し始めた。

「彼が私の誕生日を忘れていたのよ。別にプレゼントを催促する気じゃなかったの。ただ、覚えていてくれたら嬉しいなァって思ってたけど、遠回しに匂わせるみたら「アツ」って思い出してくれて「何かプレゼントするよ」って言うの」

「なら問題ないじゃない」

「大ありよ。その後なんて言ったと思う?」

「さあ??」

「何でも好きな物買っとけよ、後で金渡すからだって」

私はしばらく息ができないほど笑い、涙でアイラインがとけてタヌキになっていた。いかにも男の人が言いそうなセリフである。これは女の脚本家が机でひねり出そうとしても書けるセリフではない。

女はプレゼントも欲しいけれど、やっぱり彼の心が欲しいのである。誕生日や結婚記念日を覚えていてくれて、忙しい合間に彼が自分で選んだ何かがほしいのである。それは多少センスが合わなくても、高価なものでなくてもいい。女が自分一人で好きな物を買い、後で、

「消費税込みで二万三千五百六十円だったわ」

とレシートを渡し、彼が二万四千円出して、

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「ホラ、釣りはいらないよ」

では多くの女は悲しくなるはずである。

逆にプレゼントに頬をゆるめていた女友達もいる、彼女はきれいな小さなイヤリングを見せてくれた。

「出張の帰りにね、飛行機に乗る寸前に空港の売店で買ったんだって。やっと東京に戻れると思ったとたんに私のこと思い出したんだって」

心が緩むと同時に彼女を思い出した、という言葉に加えて、空港の売店に駆け込んだ彼の姿がダブルからそのイヤリングは三倍輝く。

プレゼントにはやっぱり「甘さ」が欲しい。

十円玉騒ぐ(3)

スーパーマーケットのレジに並んでいたら、すぐ近くで何やら騒いでいる。店の人が走ってくるし、お客さんまでが地べたに這い蹲ったりしている。

何ごとかと思って見ていたら、小さな女の子がお金を落としたらしい。そばで父親と思われる人が一緒になってさがしている。

女の子は店内に備えつけてあるゲーム機で遊ぶため、十円玉を入れようとした時に、そのうちの一枚を落してしまっのである。十円玉はクロクロと転がり、見えなくなってしまったのだろう。若いの父親は言った。

「お金を粗末にしちゃいけない。ちゃんとさがして」

一見、軽そうに見えるタイプだが、言うことはしっかりしていると、私は感心していた。ところが店の人や客までが一緒になってさがしても、十円玉は出てこない。父親は結構な根性の持ち主で、店の人にタバコケースを移動させ、コピー機を移動させ、女の子3

にさがさせる。

「自分で責任を取りなさい。ちゃんとさがしなさい」

とうとう、店の人が自分のポケットから十円玉を取り出し、女の子に渡そううとした。

「なくしたお金は後でおじちゃんがもらっておくから、今はこれを使いなさいね」

女の子が出した小さな手を、父親は静かに引っ張った。そして店の人に言った。

「たかが十円、お金が問題じゃないんです。お金の大切さと、自分で責任を取ることを教えたいんです」

そして、女の子に言った。

「お金がなくしたのは自分だから、今日はゲームはできないよ。わかってるね」

やがて父親は女の子の手を引くと、店の人たちに礼も言わずに出て行った。移動させたタバコケースもコピー機も一切も通りにはしないで。まったく「責任」はどこへいくのだ!口先だけで偉そうなことを言うほど簡単なことはない。

空港のコアラ(4)

仕事で博多に出かけていた。日曜日の最終便で東京に戻るため、私は空港で搭乗手続きをとっていた。

その時である。空港ロビーを揺るがすような、子供の泣き声が聞こえてきた。搭乗手続きの乗客はもとより、係員まだが思わず手を止めてその子供を見たほどである。子供は四歳くらいの男の子で、両親は困り切っている。立って泣いていたその子は、突然床に大の字になり、大声で泣き叫びながら手足をバタバタさせ始めた。父親が懸命に何か言いきかせているのだが、いっこうに泣き止まず、声は大きくなるばかりである。

こうなると、私も含めて周囲の人たちは眉をひそめだした。そのうちに、子供は父

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親の首にかじりつき、両脚をその背に回し、まるでコアラが木にしがみつくようにして泣きわめく。若い母親はじっとうつむき、何もしない。

「あのお母さん、なってないわねッ」

私の前に並んでいた老夫婦がつぶやいた時、子供の言葉がロビーに響き渡った。

「お父さんも帰ろー!お父さんもいっしょー」

私はハッとした。改めて見ると父親はジャンパーにサンダルばきである。明らかに妻子を空港に送りに来ている姿であった。

「帰ろー!お父さんもー! ヤダー!僕ヤダー!」

子供はコアラになったまま、大粒の涙をポロポロとこぼし、泣き疲れてかすれた声で叫び続ける。ロビーにいた人たちがシーンとなった。誰の目にも、父親は博多に単身赴任しているのだとわかった。なってないと思われた若い母親は、自分もおっとと別れが切なくて、うつむいて涙ぐんでいたのかもしれない。 搭乗の最終案内がアナワンスされるや、父親は力ずくでコアラを引き剥がし、後も振り返らずに駆け出して行った。

子供を育てた経験がある限り、男たちは本気で不倫などできるはずがないと思うほうがいい。

あの父親はこのクリスマスには帰れるのだろうか。

隠れタバコ(5)

ある夜遅く、NHKからタクシーに乗った。放送センターの構内から出るや、運転手さんが言った。

「タバコ、吸っていいですよ」

「え?」

「会議が何かだったんでしょ。ご遠慮なく」

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ルームミラーに映る運転手さんの目は優しく笑っている。私は不思議な気がして聞いた。

「女の人たち、タクシーでタバコ吸うことが多いんですか?」

「多いですよォ。車に乗ってすぐに『運転手さん、タバコ吸っていい?』って言うのは八割がた女です。男は車に乗ってすぐ吸うって人はまずないね」

「へえ。それって意外だなァ」

「でしょう。やっぱり女はあまり人前で吸うわけにはいかないんじゃないですか。夜遅く会社から乗る女の人ってのは、ほとんどが会議や何かでしょう。疲れて一服したくてもしにくいし、それでタクシーが乗るとすぐなんじゃないかねぇ。お客さんもてっきりそのクチかと思ったんで、どうぞって言ったんだけどね」

運転手さんの分析はかなりいいとことを突いていると私は思う。人前でタバコを吸うことをためらう女は、この時代にあってもかなり多い気がする。それは禁煙、嫌煙が進んでいる今、他人に迷惑をかけたくないという思いもあろう。が、私個人の意見だが、やっぱり「男にとっていい子」でいたい女は、人前では吸えないのだと思う。「タバコを吸う女」というだけで、少なからず見る目を変えてしまう男というのは確かにいるだから。

「タバコを隠れて吸うなんて情けないわよ。悪いことしてるわけじゃないんだし」という声は正論だが、私はトイレやタクシーの中で、隠れて吸う女の気持ちのほうがよくわかる。男に愛されたい以上、マイナス要素を隠れたいのは当然のこと。しかし、確かにみじめてあり、切なくもある。一番いいのはタバコをやめることだろうか。

悲惨な食事(6)

知り合いの下宿している大学生に、どういうものを食べているのかを尋ねてみると、

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その食生活の貧しさに驚くことがある。

「そんなものばかり食べて、よく今まで生きてこられたね」

といいたくなってしまうような内容なのである。朝はコンビニエンス?ストアで買ったパンと牛乳。昼はラーメン。夜は友達とおつまみもろくに食べないで酒を飲む。そして酔いがさめてお腹がすいたら、スナック菓子をひと袋食べてすませるひどさなのだ。これは男の子に限ったことではない。女の子だから大丈夫だろうと思っても、実態はなかなかすさまじいのだ。

彼女に言わせると、

「忙しいので自炊はしない」

そうである。

「朝、何を食べてきたの」

と聞いたときに、彼女の口からチーズ?ケーキとチェリー?タルトと炭酸飲料の名前が返ってきたときには、本当に驚いてしまった。

「えっ、それが朝ご飯?」

と思わず聞き返すと、

「いつもこんなもんです」

という。朝は授業が始まるギリギリまで寝ているから、朝ご飯をつくる時間なんかないというのが彼女の言い分なのだが、そういうわりにはきれいにお化粧しているのがとても不思議であった。

私が学生のときに、授業中によく倒れる男の子がいた。彼はとにかく貧乏で、着ている服は一年中、高校時代の詰め襟のみ。食べることにも事欠き。空腹ですぐへなへなとなってしまい、そのたびに私たちはお米や野菜を持ち寄って、彼に寄付したものだった。7

今の学生はお金も持っているし、一見体格もいい。しかし、栄養がなくて手軽に空腹が満たされる食べ物がありすぎて、食生活の内容は悲惨なのではないだろうか。

長生きするために食べるわけではないし、無理やり私が食べさせられるわけではないから関係ないけど、人に献立を話して気持ち悪いがられるようなものはやめていただきたい。

目(7)

毎年、春になると私にはつらい出来事がおこる。鼻がムズムズするのもそうだが、一番困るのは外を歩いていると、春風に舞いあげられた小さなゴミが、やたらと目の中に入ってくれることなのである。たとえば私の目がぱっちりしていて、いかにもゴミが入りやすそうな形状をしているというのならまだ納得できる。風が吹いてきても受ける部分の表面積が大きいのだからそれが仕方がない。しかし私の目は一重まぶたで人よりもちっこいのだ。

学生時代、みんなと連れだって帰るとき、決まって私だけが目にゴミが入る。二重まぶたでわたしよりもずっと目が大きい友だちは何ともないのにだ。涙をプロプロ流しているのを見て、彼女たちは、

「おかしいわねえ」

といって首をかしげた。必死になって涙でゴミを流し出そうと努力している私に同情してくれるどころが、腕組みしながら路上で議論し始めたりするのだった。

「四人が同じ条件で歩いていて風が吹いたら、どう考えたってあなたが一番入る確率が低いのにね」

理数関係が得意な子が冷ややかにいった。

「私は目が大きいほうだけど、そんなにゴミが入った記憶なんかないわ」

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出目金というあだ名の子は、そういいながら私の顔をのぞきこんだ。やっとの思いでが流れ出てもしばらくは涙目が収まらず、涙と一緒にでてきた鼻水をずるずるやりながら、電車に乗るのが毎度のことだったのだ。

それから私はちっこい目の人に会うたびに、

「ゴミが入りやすいですか」

と聞くことにしている。驚いたのは私と同じような思いをしている人が、ちっこい目の人に多いということだった。話によると目の大小ではなくて、眼球の角度によってゴミが入りやすくなるそうなのだが、この件は自他ともにずっと不思議だといいながら、依然、解明されていない。

お気に入り(8)

五歳の男の子を連れた友達とばったり道で会った。

「随分、大きくなったね」

といいながら、ふと彼の着ている物をみたら、妙にお腹のところがふくらんでいる。

「腹巻きできさせてるの」

「そんなことないんだけと??、どうしたのかしら」

彼女は、男の子の着ているダブッとしたTシャツを捲り上げた。中から出てきたのは、くしゃくしゃに丸められたこーデュロイの半ズボンであった。あるデザイン?メーカーのものだ。話によると、このズボンは彼のお気に入りで、冬場、ほとんど毎日はいていたという。

洗濯すると、

「いつ乾くの」

としつこと尋ねる。目を離すと生乾きでも幼稚園にはいていこうとするので、説得9

するのが大変だったというのだ。春先に、

「このズボンは寒いときにはくものだから、しまおうね」

といてタンスの奥にしまったのだが、そのときしまい場所をしっかり見ていたらしいのである。

「こんなに好きなの」

と聞いたらこっくりとうなすく。そして、

「今日のズボン、嫌いなんだ」

と訴えるのである。はいているのはふつうのジーンズの半ズボンである。

「どうして、ちっとも変じゃないわよ」

「かっこ悪いんだよ、ここのところが」

彼はポケットを指さして、口がとがらせる。母親にはかされたズボンが気に入らなくて、すきあらば自分の大好きなズボンにはき替えようと、隠し持ってきたのである。

「五歳でねえ。それも男の子でねえ??」

私は感心半分、あきれ半分でため息をついた。私も子供のときには好きな服と嫌いな服はあったが、文句を言えば、

「ふざけるな」

と親に怒鳴られるに決まっていた。裾がびろびろに伸びたランニング?シャツで走り回っていた子供の姿は、遥か彼方に消えてしまったようだ。

花(9)

家の中にいつも花を飾る習慣になっている人はとてもうらやましい。別によい服を着ていなくても、贅沢な食事をしていなくても、広い部屋に住んでいなくても、花を飾って生活をしている人には憧れてしまう。というのは、私は地べたから生えている花は平気

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だが、切り花はどうも弱いからなのである。

そうはいっても、自分の殺風景の部屋に、なんとかかっこをつけようと思って、あきかけのや蕾が混ざったバラを買ったことがあった。花瓶にいけて眺めて見ると、狭い部屋でも、花があるのとないのとでは、雰囲気が大違いであった。

「やっぱりこのくらいはしなくちゃね」

私はひとりで悦にいっていた。だんだん蕾が開いて、きれいな花を咲かせてくれた。

「まあ、きれい、きれい」

といいながら喜んでいた。問題はその先である。いつまだも花をきれいに咲いていないから、日に日に花びらの色が変わり、茎も発っぱも萎びてくる。とたんに部屋の中が何となく悲しく、うら淋しくなってしまうのである。ここでいつも私は悩む。見てくれを考えればさっさと捨ててしまえばいいのだが、まだ水を吸って生えているかと思うと、ゴミ箱行きにできないのだ。

どうしようと迷っているうちに、花は萎れてくる。花が咲いてきれいなときはほんのわずかで、萎れかけてから枯れるまでのほうがずっと長い。

「早く枯れてくれないかなあ」

と期待しても、これが結構しぶとい。みっともないから、なるべく人目につかない場所に花瓶を移動しようとするのだが、物陰に持っていくとますます悲惨になってくる。私は首項垂れた花が入っている花瓶を持って、部屋のなかをうろうろするハメになるのである。花びらが落ち、茎もパサパサになると、やっとゴミ箱にポイする決心がつく。花を飾るのは本当に神経が疲れる。私は基本的にこういうことには向いていない。

偏食(10)

みんなで楽しく食事をしているとき、ふと見ると意外に偏食する人が多いのに驚く1 1

ことがある。もちろん子供ではなくて、立派な大人である。あれもだめこれもだめといいながら必死になって嫌いなものを皿の隅によけている姿を見ると、その人には悪いけど、

「あまりみっともいいものじゃないな」

と思う。

かくいう私も子供のころはすさまじい偏食児童であった。食べられるのはお菓子とご飯と海苔と卵だけ。野菜など全く食べなかった。最初は私の気に入ったものだけがちゃぶ台に登場していたが、あるときを境にして突然、大嫌いな食べ物のオン?パレードになってしまったのである。ご飯はあるものの、海苔と卵の姿はない。当然の如く私は抵抗した。

「こんなのいやだ」

といってみても、母親は知らんぷりしていた。次は大声で泣いてみた。まだ無視された。最後の手段として畳の上に引っくり返って、足をばたばたさせながら、

「海苔と卵じゃないといやだあ」

と泣きわめいても、またまた私は無視されたのである。

「これしかないの。嫌だったらしようがないわね」

そういって母親はさっさと私の目の前にあった食べ物を片付けてしまった。一応私も抵抗したプライドがあるので、そっぽを向いていたが、それから三食連続でそういう調子で、一日ハンストしたものの、結局は大嫌いな食べ物を口に入れることになってしまったのである。

それ以来、私はまったく好き嫌いがなくなった。母親の強硬手段も今になっては感謝している。きっといい歳をとしてもひどい偏食が直らない人は、よほど甘い両親に育てられたのだろう。他人が偏食をしても、別に私に迷惑が及ぶわけではないのだけれど、食

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べ物の取材を細かく分析し、あれも嫌だ、これも嫌だといわれると、一緒に食事をしているこちらとしては、とても不愉快になってしまうのである。

老成した子供(11)

送られてきた週刊誌をパラパラめくっていたら、偏差値の高いいわゆる有名私立中学校に合格した男の子たちの写真が載れを見て私は少し驚いた。みんな合格が決まってにこにこしているのだが、それを見て私は少し驚いた。中学に入学しようというのだから十

一、二歳なのに、そのほとんどの子がよくいえば老成し、はっきりいえばふけていたからである。彼が背広を着てネクタイを締めれは、背丈はともかく顔だけは立派なサラリーマンとして通用し、四十歳、五十歳の姿も容易に想像できるくらいなのだ。

うちの近所にある進学塾に出入りしている男の子たちを見ても、やはり眼鏡をかけた老成したタイプが多い。あるとき彼らの会話が聞こえてきたのだが、その深田祐介と大橋居泉のミニチュア版みたいなふたりは、まだ声は変わりもしていないというのに、将来の計画について話していた。

「きみは長男だから、家と土地はもらえるんでしょう」

「まあね」

「いいなあ。僕はおにいちゃんがいるから、家と土地はあっちにいっちゃって、自分で不動産を買わなきゃならないんだ」

「それじゃ、よほどいい会社に勤めないと替えないぞ」

「そうなんだ。やっぱり年収がよくないとね。それじゃなかったら株で儲けるとかさ」

などと延々と会話は続き、一生勤めて退職金はいくらだの、奥さんの親にも助けてもらわなければなどといっているのだ。人生設計などまるでなく、日々を行き当たりばっ1 3

たりで過ごし、これからもそうしょうと思っている私は、

「ひえーつ」

と、心の中でつぶやいてあとずさりしてしまった。これではたかが十

一、に歳で老成するわけである。小学生で年収とか不動産取得のために妻の実家の援助まで計算しているなんてちょっと怖い。彼らは人生設計の第一歩として有名私立中学校をめざす。親にしてみれば成績のいい自慢の息子なのだろうが、私からみれば「子供」とは呼べない、不可思議な別の生き物なのだった。

ダイエット(12)

女性誌を見ると相変わらずいろいろなダイエットの方法が載っている。高校正のときに理想体重を十五歳キロオーバーしていた私は、どうやったら痩せられるかを考えない日はなかった。

「そういう年頃なんだから、無理して痩せることなんかない。体を壊すからやめなさい」

まわりの大人たちは口を揃えていったが、とにかく頭の中には痩せることしかない私にはそんな忠告など何の役にも立たなかった。だいたい同年輩の男の子たちの九十九パーセントは痩せた女の子が好きなので、明るい男女交際をするためにの第一歩としてダイエットは必要不可欠だった。そして大学を卒業するまでダイエットということばは頭の中から離れなかったのである。

同じゼミの男の子たちは、

「僕たちはね、お金がなくてお腹いっぱい食べられないから、太れないの。いわば自然ダイエットだね。君たちも仲間に入らない?」

とダイエット、ダイエットと騒ぐ私たちをからかった。喫茶店にいっては、ケーキ

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やアイスクリームを食べ、そのうえ運動なんか全然しないのだから、晩御飯を減らしたって太るに決まっているのに、ダイエットということばを見ただけで痩せるような錯覚に陥っていたのだった。

街で女子高校生がどうやったら痩せられるかを話しているのを小耳にはさむことがある。たしかに太目の子もいるが、あのくらいの歳の人はどんな体型でもそれなりにかわいいし、みっともなくなんかない。若さが体型の欠点をすべて吹き飛ばしてくれるのだ。それがわかったのは私自身の若さが失われつつあることに気がついだからである。しかしかつての私みたいに、彼女たちはいくらまわりからそういわれても「フン」と思うに違いない。

あるとき知り合いの中年男性がいった。

「女の子はどうして、何もしなくてもかわいらしいときにダイエットなんかして、ちょっと気にしてほしいなあという年齢になると何もしなくなっちゃうんでしょうかね」

耳が痛いおことばであった。

ワープロ(13)

ワープロが打てるのはかっこいいなと思って、画面付のワープロを買った。ワープロは種類によって賢いのとそうでないのとがあるが、私のは残念ながら後者だった。

いつまでたっても自動変換で「私」を「渡し」、「千代田区」を「千代抱く」を表示する間抜けなワープロにぶつぶつ文句をいいながら、操作証明書を首っぴきで何とか使いこなせるようになった。悩みの種だった消すゴムのカスや万年筆のインクであちらこちらが汚れることもなくなって、最初のころはとても満足していたのである。

ところがワープロでずっと原稿を書いているといろいと問題が起きてきた。まず両手が塞がってしまうので、ふたつのことが同時にできない。電話がかかってくると作業は1 5

中断。締め切り間際には右手で書いて左手でパンをかじるという効率のいい食事をとっていたが、そういうこともできなくなった。そして一番ショックだったのは、たまには気分転換をしようと手で書いたら、キーを打つの習慣きってしまったせいか、日本語がちゃんと書けなくなっていたことだ。字はヘタクソになるし同音異義語は平気で使う。「ありがどうございました」を「ありがとごさまた」などと書いたりして、まるで日本語を覚えたての外国人が書く文章のようである。一時はやみつきになってワープロを叩きまくっていたが、最近では日本語の社会に復帰できるように、なるべく手で書くことにしている。

わーポロは長時間原稿を打ち続けられる利点がある。しかし十何時間もワーポロを向き合っていたら、頭の中にキーを打つ音だけが不気味に鳴り響いて、気分が悪くなってきた。だんだん自分が機械になっていくみたいだった。それが楽しめる人はいいけれど、私にはちょっとつらかった。机の上が雑然としているのや、鉛筆や消しゴムや万年筆の感触はやっぱりいい。かっこよくはないけれど、パンをかじりながらの手書きという汚れ仕事のほうが性格に合っているようである。

下戸(14)

私は下戸である。自分では飲めるようになりたいと思っているのだが、気持ちとは裏腹に体がうけつけてくれないのだ。二十歳になってすぐ、友達の家に泊まりにいったことがあった。総勢五人のうち、私以外はみんな酒飲みで、泊まりにいった先の両親が旅行中なのをいいことに、晩御飯が済むとすぐ酒宴になってしまった。私は酒を飲んだのはこのときが初めてだったが、他の四人はずっと前から飲んでいたようだった。

ワイン、ビール、ウイスキー、ブランデイ、日本酒の瓶がずらっと並び、呆気にとられているうちに、みんなはだんだん出来上がっていった。突然、わーっと泣き伏す者、あれこれと世話を役者、延々と愚痴を言っている者、ぷりぷり怒っている者。私は突然の

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友達の変貌ぶりに度胆を抜かれた。

「あんたひとりにだけ飲まないのは許せない」

といわれて、私はワインをグラスに一杯飲まされたのだが、体がまっかっかになって、全身がものすごく痒くなったことは覚えている。そのあとの記憶はなく、気がついたら布団の上に寝ていた。友達の話によると、私は、

「お風呂にはいる」

といいだして、風呂場に消えた。十分ほどして友達が様子を見に行ったら、私はまっかっかの顔をして、

「だいじょぶ、だいじょぶ」

とにこにこ笑いながら場ぶねにつかっていた。そしてあがってくると、

「それでおやすみなさい」

とみんなに挨拶をして、自分で布団を敷いて寝てしまったというのだった。このとき以来、私は彼女たちから無理に酒をすすめられなくなった。

たまに彼女たちとあっても、みんなはおいしそうに飲んでいるのに、私だけウーロン茶というは何となく情けない。風呂上がりにビールをぐいっと飲める人はとてもうらやましい。テレビでもぐいっとビールを飲むCMが流れるけれど、私はそれを横目で見てよだれを流しながら、じっと悲しく耐えている。

写真(15)

写真を撮るのも撮られるのも大好きで、山のようにアルバムを持っている人がいるが、私はその反対である。子供の頃は親が撮ってくれた写真があるものの、高校生のときは三年間のクラス写真と、遊びにいったときのものが、

一、二枚あるのみ。大学時代は一枚。それからずーっとなくて、こういう仕事をし始めてやっと枚数が増えてきたというく1 7

らいである。

三歳のときだったと思うが、親に連れられて町内の写真館で、記念写真を撮ってもらったことがある。ところが大好きなカメラがでんと目の前にあって、いくらきれいな着物を着せられていたからといって、そんなににこにこ笑えるものではない。親は私が気に入っている、熊ちゃんやあひるさんのぬいぐるみを持って、一生懸命笑わせようとするのだが、やはり顔がこわばってしまう。そこに口をはさんできたのが写真館のおじさんである。優しく、

「ほーら、お嬢ちゃん、ここから鳩がでますよ」

とレンズを指すしながらいった。いくら緊張していてもそこは子供で、本当に手品のように鳩がでてくるのだと信じてしまう、うれしいなあと、じーっとレンズを見つめているうちにフラッシュがたかれてしまったのである。ほっとした大人たちと反対に、私はムッとしたのはいうまでもない。

「おじちゃんが嘘をついたあ。鳩なんかででこないよ」

と、すさまじい声で泣き出して彼をなじった。それ以来、写真館のおじさんは、私の姿を見ると、そそくさと走り去っていったそうである。

どうも私の写真嫌いは今に始まったことじゃないらしい。カメラマンには、

「妙に写真すきで、ポーズをとる人のほうが撮りにくい」

といわれたこともあるが、やっぱり堂々と自信を持って写真に撮られるほうがいいと思うのだが。

日めくり(16)

今年はすでに三分の一が終わってしました。

「これから梅雨にはいって鬱陶しいなあと思っているうちに暑くなって、やっと涼

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しいの風が吹いてきたと喜んでいるとすぐ寒くなって、そして大晦日になってしまうのよね」

遊びにきた友達にそうつぶやいたら、彼女も、

「本当に一年ってすぐね」

といいだし、あれこれ話しているうちに翌日にも大晦日がやってくるような気がして、二人して暗くなってしまった。

まだ私が十代のころ、母親は、

「歳をとると一年があっという間に過ぎていくよ」

とよくいったものだった。しかし私はとりあえず相槌をうちながらも、内心、

「そんなことがあるわけない」

と小ばかにしていたのだ。ところがいざ自分が二十代、三十代になってみたら、その一年がたつのが早いこと早いこと。

本当に、

「あっ」

という間である。子供の時は一日がものすごく長くて、次は何をしようかと迷っていたくらいなのに、大人になったら何もしないうちに一日が終わってしまうことが多くなった。

だから紙一枚に一年分が印刷してあるカレンダーを眺めていると、

「一年って、たったこれだけ?」

と悲しくなってくる。 かつては自分の部屋に一枚だけのカレンダーを貼っていたこともあったが、ここ

二、三年のお気に入りは日めくりである。毎日ビリビリト紙を剥がしていっても、五月だとまだたくさん紙が残っている。少なくとも十二月になるまでは、

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「残りがこれしかない」

という恐怖からは解放される。別に一年分が一枚になっていようが、三百六十五枚になっていようが一年は一年である。しかし、まだ大晦日まだたっぷりあると錯覚させてくれるのが、日めくりのうれしいところだ。

「明日はできることを今日やるな」という私は、ますます日めくりを愛用することになるに違いない。

最高気温(17)

世の中、いろいろな情報が多いけれど、その中で一番必要がないのが、梅雨から残暑の間にかけての「最高気温」ではないかと思う。気象庁が一生懸命に観測して、毎日、教えてくれるけれど、そのわりにはこれほど

みんな喜ばれないものはないからだ。

うんざりするほど暑い日、外を歩いていて、

「ああ、暑い」

といっている人を見ると、私はムカッとする。

「ただでさえ暑いんだから、それを再確認するようなことをいうな」

と近づいていって説教したくなる。暑いても、

「本当は、そんなに暑くないんだ」

と知らんぶりしていれば、何となく暑くないような気分になってくる。それがクーラーを使わずに生活している私の知恵なのである。

午後のいちばん暑い時間帯に、でかけなければならないとき、着替えながらニュースを見ていると、ごていねいに、

「これから都心では三十四度くらいまであがいそうです」

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などアナウンサーが教えてくれる。しかしそういわれてもこちらはどうしょうもない。急にがっくりして、でかける気が失せてしまうだけだ。たとえば冬の場合は、寒くなるとわかければ、厚着をしたりできる。ところが夏の場合は、薄着にも限界があり、最高気温を教えてもらっても、精神的にダメージを受けるだけ。知った分だけ、よけいに汗がにじみでてくるといった具合なのである。

いったい最高気温を知って、気持ちがよくなる人っているのだろうか。たしかに近所の人と道で出くわして、何の会話のネタ浮かばない場合、付き合いをスムーズにするために、一役かうという利点はある。しかしその程度のものである。いちいち折れ線グラフで最高気温の変化など報告してくれなくてもいい。

「夏は暑い!」

明快にただそれだけで、いいのである。

いい社会(18)

私の友達の子供は、そろそろ小学校の高学年になっている。電話で友達と話していると、子供の進学や将来のことに終始するのだが、母親としての彼女たちの心境の変化に驚くことがある。幼稚園に通よようになったとき、彼女たちは、

「うちの子は物を作るのが好きだし、それに上手なの」とか、

「音楽がかかると、踊りだしたりするから音感がいいみたい」

などと親馬鹿丸出しで私に報告してきた。自分の子供がほかの子供よりも優れているものを発見したのが、うれしくてたまらない様子なのだ。

「それは将来、楽しみね」

というと、口をそろえて彼女たちは、こういう個性を伸ばしたいといったものだった。

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ところがここのところ、彼女たちの意見はがらっと変わってしまった。子供を「いい会社」にいれることしか、頭にないみたいなのだ。

「個性を伸ばしたいって、いってたしゃないの」

といっても、

「そんなこといってる場合じゃなくなってきたのよ。成績だって中の下だし?」

と、とても暗い。彼女たちの意見は、うちの子は出来が悪い。だけど安定した人生を送らせたい、となると、今から親子が力をあわせ、どんな無理をしてでも偏差値の高い学校に入学し、

俗にいう一流企業と呼ばれる「いい会社」に就職するしかない。そのような会社にはいっておけば、我が子が仕事ができなくても、他の優秀な人々が仕事をちゃんとやってくれる。組織の輪のなかにはいっている限り、安定した収入は保証されているというのだ。

子供が小さかったときは、それぞれの個性を発見して喜んでいたというのに、母親というものはこのように考え方がコロッと変わるのだろうか。そのたんびにありこれいわれる子供は、さぞや迷惑に違いない。母親が目を三角にしてヒステリックになっていても、子供は母親の思うとおりにならないのが世の常である。私は子供たちの反逆に、ささやかな期待を抱いている。

窓ガラス(19)

だんだん春になって陽射しが明るくなってくると、私は毎年窓ガラスを見てため息をつく。いままで日の短さと光の柔らかさにごまかされていた、窓ガラスの汚れがくっきりと浮かび上がってくるからである。大掃除でちゃんと磨いたはずなのに、明るい陽射しのもとで見ると、雑巾でふいたあとがしっかり残っている。もともと掃除が嫌いで、嵐と共に横なぐりの雨が降ってくると、

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「これで窓ガラスを磨かなくてもいいや」

と安心してしまうくらいだから、きれいにしたつもりでも、他人から見たら相当ひどいものなのだろう。

私が小学校の低学年のころのことだった。母親と一緒に買い物にいく途中、彼女は顔見知りのおばさんの家の前で立ち止まった。そのおばさんはいつもつんとあごを上げて歩いているような人で、私は好きではなかった。

「ほら、ごらん」

母親はおばさんの家の窓ガラスを見ながらいった。

「ここの奥さんは好きじゃないけど、いつもあんなに窓ガラスをピカピカにしていることだけは感心しているんだよ」

私は、「ふーん」といいながら話を聞いていたのだが、そういわれてよく見ると、うちではカラスを磨いても桟の角の部分にちょっぴり汚れがたまっていたが、そこの家の窓枠にはきっちり四角形のガラスがはまっているように見えたのだ。

そして自分の部屋を借りてからは、いかに窓ガラスをいつもピカピカにしておくのが大変かわかった。あのおばさんは、丸一日にかけてガラスを磨いていたのではないかといいたくなってくる。へたをすると磨く前よりも汚れなったりするのだ。曇りの日に新聞紙で磨くといいとか、ゴムベラみたいなものでこすりとるのがいいとかいわれていろいろやってみたが、どれもうまくいかない。

今ではほとんどサジをなげてしまう、透明度がいまひとつの窓ガラスを見ながら、春の大嵐を期待している状態なのである。

リモコン(20)

ずいぶん前のことになるけれど、リモコンつきのテレビが発売されたときに、私は、

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「日本の狭い家で、どうしてこんなもの必要なのか」

と広告を見ながら文句をいったことがある。テレビの置いてある部屋が二十畳以上あるとか、体を動かすのが大変な人ならともかく、ほとんどの人はチャンネルを変えるのにも

五、六歩歩けば用が足りる家に住んでいるはずだからである。

「こんなものがあるから人々は不精になり、だんだん足腰が弱ってくるのだ」

と、家族を相手にあれこれ演説をぶっていたのだ。

ところがそれから何年もたった今、ぶつぶつとリモコンをののしったのにもかかわらず、私のまわりにはテレビ、ビデオ、レーザー ?ディスクプレーヤー、CDプレーヤーなどのリモコンがある。機械が買うとリモコンがついてくるので、それを無視できるほど私の意志は固くなかったのだ。ここにも自分のいったことはコロッと忘れ、楽なほうへ、楽なほうへと流れてしまう私のいいかげんな性格があらわれているわけである。

このように喜んでリモコンを使っていたものの、数が増えてくると、だんだんどれがどの機械のリモコンかとっさにはわからなくなってきた。レーザー ? ディスクを作動させようとしたが、いくらやってもスイッチがいらない。変だなあと思いながら、電池を点検したりボタンをめちゃくちゃに押しまくっているうちに、手にしていたのがテレビ用のリモコンだとやっと気がついたりする。これでも相当恥ずかしいことなのに、このあいだは電卓を手にして必死になってテレビをつけようとしていた。まわりがリモコンだらけなのに、いざ必要になったときに見つからないのが、リモコンでもある。そうなると床の上の新聞や雑誌をひっくりかえして、捜さなければならない。まるでリモコンに私はリモートコントロールされているみたいだ。

健忘症(21)

母親が中年といわれる年代にさしかかって、物忘れがひどくなったとき、

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「何と情けない」

と、小馬鹿にした覚えがある。あまりに娘に馬鹿にされるので、母親は怒ってしまい、親子喧嘩が絶えなかった。しかし、最近では自分の物忘れのひどさに我ながらあきれるほどになったしまった。

かつて私は何よりも記憶力のよさが自慢だった。一度会った人の名前はもちろんのこと、電話番号など名刺に書かれていることはすべて暗記していて、

「すごいね」

などといわれると、

「ふっふっふ」

と得意になっていた。まるで歩く電子手帳のような頭脳だったのである。ところがこのごろはあの電子頭脳はどこへいったと、いいたくなるような醜態ばかりさらしているのだ。

盛り場でばったりとある男性二会った。彼とたしかに会ったことがある。お昼ご飯を一緒に食べて、そのうえ仕事の打ち合わせまでしたのだ。出版社の人には間違えないのだが、どこの誰さんかという部分が、私の記憶からスポット抜け落ちていた。

「ひさしぶりですねぇ。五年くらい前にお会いしたきりですね」

と笑いながらも、だんだん私の顔はひきつっていった。頭の中には「この人は誰だっけ」という字が一杯に充満しているのだが、記憶の糸はぶっつんと切れたままである。私はこのことを相手にさとられまいと、和やかに再会の挨拶をかわしながなあせりまくった。このとき初めて私は脳みそに大穴があいたような気がしたのである。

それから脳味噌は大穴だらけで、話している途中で相手の名前が、山田さんか山下さんかふっとわからなくなることさえある。相手は自分の名前が忘れ去られているのも知2 5

らずににこにこしている。人生八十年というのだ、あとの五十年をこのまま大穴だらけで過ごさなければならないのかと思うと、なんだかがっくりする?

UFO (22)

このところUFOがまたブームになっているみたいだが、私はまだそれらしき物体が見たことがない。ところが私の友人はどういうわけだか、ほとんどの人はそれらしきものを見ているのだ。

なかでも一番強烈なのは、高校時代の友人の目撃談である。彼女が小学生のときのことなのだが、照り返しが強い夏の昼間、家の近所の広い通りの歩道を歩いていた。すると今まで車が走っていたのに、突然、一台も通らなくなった。歩道を歩いている人もいない。

「あれ、おかしいな」

と思いながら、ふと歩道に面した平屋の家を見たら、その家の軒のところに、妙な物体が浮いている。銀色の流線型で、周囲からは、かげろうみないなものがゆらゆらと出ている。

「これは何だ」

と呆然としているうちに、ふっとて銀色の物体は消えてしまった。そして彼女が我に返ると、道路にはまたたくせんの車が走り出していたというのである。

その話を聞いたとき、私はたまげるより先に、物体が民家の軒下にぶかぶか浮いている姿を想像して笑ってしまったのだが、彼女は、

「あれはUFOだわ」

と信じきっている。

「そこの家の子供が、ばかでかい銀色の風船でもぶらさげておいたんじゃないの」

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と茶化すと、むきになって、

「いーや、違う、あれ絶対に金属だった」

と反論してくる。そして単なる偶然か軒下の物体の仕業かわからないけれど、物体を目撃してから、彼女の身長は一年間に十センチ伸び、そしてぴたっと止まってしまった。そのような不思議なことが彼女の身に起こったのは事実なのである。

私もいつかは現物を見たいものだと思っているのだが、こればかりはどうしようもない。目撃者同士で話が盛り上がっているその隣で、

「不思議ねぇ」

と首をかしげるだけの、空しい日々を送っている。

牛乳とネギ(23)

私の家の近くにあるスーパー?マーケットは、あまりに店員さんの応対がていねいで、こちらが恐縮してしまうことがよくある。たとえば、その店で一リットル入りの牛乳一パックを買う。するとレジで袋詰めしてくれる店員さんが、てきぱきと他人の品物も入れながら、「牛乳を横にさせていただいてかまいませんか」

と聞くのだ。私はいつも、

「はい」

と返事をするのだが、たかが物を横するくらいで、そのくらいていねいなのである。

ある日、私は鍋物でもしようと長ネギを買った。そして豆腐や椎茸などと一緒にレジに持っていくと、袋詰め担当の店員さんが、私に向かって何事か尋ねた。最初は何をいわれたのかわからなかった。牛乳を買ったいたら横にしてもいいか、アイスクリームだったらドライアイスの必要がありやなしやと聞かれるのだが、その日は両方とも買っていなかったからだ。

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「はっ?」

と聞き返すと、彼女は私の目をじっと見て、静かな声で、

「おネギをお曲げしてよろしいですか」

といったのである。私はビックリ仰天した。とりあえず「はい、いいですよ」

と返事をしたものの、こんなことまでていねいに聞かれるなんて想像もしなかった。きっと過去に、袋に入れるときに黙って牛乳パックを横にしたりネギを曲げたら、怒った客がいたのだろう。それから気をつけて観察していると、五人に一人くらいは、

「横にしないで!」とか、

「曲げないで!」

ときっぱりいうお客さんがいた。飾りのいっぱいついた服を着た、傲慢そうなおばさんである。牛乳パックだってそう簡単に壊れるものじゃないし、長ネギだってあとで切るんだから、別にいいじゃないかと私は思う。それにしても、いちいちお客さんに、

「おネギをお曲げしてよろしいですか」

と、ていねいに聞かなきゃならないなんて何て大変なことだと、店員さんに同情してしまったのだった。

間違い電話(24)

今まで私の家には間違い電話はほとんどかかってこなかった。都内に住むんでいるときには悩まされたけれど、都下に引っ越してから八年、そういう電話は、一年に

二、三本あるかないかという程度だった。ところが最近になって、急に間違い電話がふえてきたのだ。

間違い電話をかけてきた人に、

「何番におかけですか」

と聞くと、かつては明らかにダイヤルの穴に指を突っ込むときに、ひとつ入れ間違

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いたと思われるものばかりだった。ところがここのところかかってくる間違い電話の主に聞くと、うちの電話番号と似ても似つかない番号をいう。

「どうして間違えるのだろう」

と不思議でならなかったが、ダイヤル式の場合は離れた位置にある数字を間違えることはまずない。しかし縦横にボタンが並んでいるプッシュホンの場合はそれが十分ありうるわけだ。

うちの場合は、いつも間違い電話をかけてくる人がふたりいる。両方とも若い女の子である。友だちと深夜の長電話をするのだろうか、真夜中にかかってくるのが困る。一度ならともかく、何度も間違えるなんてよほど「確認」ということばを知らない人たちなのだろう。なかには子供に電話をかけさせて、間違えても知らんぶりの大人がいる。電話にでると、

「おばあちゃん?」

というかわいい声がする。

「何番におかけですか?」

といって耳をすませても、子供の鼻息しか聞こえない。そしてしばらくすると、

「何やってるの。間違いたのだったらさっさと切っちゃいなさい」

という母親らしい人の声が聞こえ、ものすごい音をたてて電話が切れるのだ。「すみません」のひとこともない。姿が見えないから平気なのだろうか。間違われた相手がどういう気分になるかわからないんだろうか。電話線をたぐっていって、嫌味のひとつもいいたくなる。心の貧しい人なんだろうなあと哀れんでやろうと思うのだが、やっぱり腹の虫は治まることはない。

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日本食(25)

外国旅行行くとなると、事前に山のような日本食を買い込む人がいる。スーツケースの半分が、真空パックのご飯、味噌汁、焼き魚の缶詰め、梅干、佃煮の類いで占められていて、

「こういうの知ってますか」

と、水をかけるとすぐ大根おろしができる、粉状の乾燥大根を得意げに見せてくれる人もいたりする。私も病気になったときのために味噌汁を二食分くらいは持っていくけれど、わざわざ重たい思いをしてまで、日本のちゃぶ台にのっているようなものを持っていく人の気がしれないのである。

特に日本食に執着するのは男の子が多いみたいだ。二年ほど前に海外旅行に行ったときに、到着早々レストランで貝を油で炒めたものが大きな皿で出された。「あら、おいしそうだわ」と思ったとたん、一緒のツアーの若い男性がブルゾンのボケッとから携帯用の醤油を出し、さあっとその上にかけてしまった。もしこれがうちの弟だったら、

「何するのよ!」

といって、げんこつをくらわせているところだ。私は地元で作られる料理がどういうものか食べてみたかったのに、それをあっという間に日本風味付けに変えてしまったのである。そのうえ食事のだびに、

「やっぱり醤油がなくちゃ」

といいながら、参加者全員に山ほど持ってきたその携帯用の醤油を配るのには閉口した。あるときは、

「ご飯、ご飯」

と、うわごとのようにいいながら、いつも目をつり上げて日本料理店や中国料理店

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を捜し回っているおじさんがいた。何でも食べる私を見て、彼は、

「よく食べられますね」

とため息まじりにいったのだが、彼らは何が楽しくて旅行しているんだろうか。たとえ地元の食べ物が口に合わなかったとしても、それも楽しみのひとつなのに、いちいち出された料理を日本食と比較して、まずいと文句をいい続ける。そんなに日本食がすきなら外国旅行なんかすると、そういう人たちと遭遇するたびに腹を立ててしまうのだ。

引っ越し(26)

私はひとり暮らしを始めて十年以上になるが、その間に二年一度の割で引っ越しをしている。とりたてて不満はないのだが、新しい部屋に移って

二、三か月たつと、引っ越しをしたくなる。今まで引っ越しに使った費用と労力を考えると、我ながら単なるムダとしか思えないのだが、やっぱり引っ越しはすきなのだ。荷物を梱包していると胸がわくわくする。こういうことにも「すきこそ物の上手なれ」があてはまるのかどうかわからないが、引っ越しを手伝いにきた友人からは、

「梱包も手際の良さも、もう完璧、引っ越しのプロ。物書きで食べえなくなっても引っ越しのアルバイトで食えるぞ」

と賞賛されているのである。

私は掃除は苦手だしズボラなので、ふだんはホコリのなかで生活しているようなものだが、やはり次に入る人のことを考える、引っ越すときには気合を入れて、掃除をする。自分の手に負えなければ友人にたのんででもする。ふだん怠けているので掃除もなかなか大変だが、次の入居者のためにはそうするのが当たり前だと思うからだ。だから部屋を明け渡すときは出て行くのが惜しいほど、どこもかしこもぴかぴかになっている。子供の頃引っ越しが多かったので、いつも親にしつこくいわれていた、「立つ鳥跡を濁さず」が頭3 1

の隅にひっかかっているのかもしれない。

ところが新しい部屋で心機一転するつもりで、いざ荷物を置いて冷静に部屋の中を見渡すと、前に住んでいた人の雑の掃除ぶりにびっくりすることが多い。これでは「立つ鳥跡を濁し放題」である。風呂場に髪の毛がへばりついていたり、窓のアルミサッシの桟にマニキュアがべったりくっついていたこともある。このときはそのまっかっかの汚れを落とすために、マニキュアを塗らない私は、わざわざ除光液を買ってきれいにしなければならなかった。何たる事かと嘆きながら、はいつくばって掃除をしていると、つい、

「いまどきの若い人は?」

という三十女の禁句が口からぼろっとこぼれてしまうのである。

ベテラン(27)

デパートに買い物にいって迷ったとき、私はなるべく年配の店員さんに相談することにしている。若い人よりも経験が豊富だし、いろいろなアドバイスをしてくれる安心感があったからである。

先日、友だちがガラス?ケースがほしいというので、デパートにいったらば、いろいろなサイズがある。それぞれの寸法の表示がなかったので私はそばにいた年配の店員さんに声をかけ、中に入れるものの大きさをいうと、彼女は、

「それならば、この大きさですね」

と胸を張って、あるケースを指さした。見たところ彼女のいうとおり、それは適当な大きさのように見えたが、念のため、

「内法を測ってくれませんか」

とたのんだ。すると彼女は、

「ものさしを持ってきます」

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といい残していなくなったのだが、しばらくして手ぶらで戻ってきて、

「それで大丈夫ですよ」

という、人にあげるものだし、万が

一、いらなっかたら交換するのが面倒なので、何度も念を押したのだが、

「大丈夫です!」

と堂々と言い放つのである。

そこまでいわれたら信用するしかないので、私は発送の手続きをした。しかしそれでも何となく不安だったので、私はもう一度、発送担当の別の店員さんに、サイズを確認した。すると彼女は、

「寸法が足りないので、この上のサイズじゃないと入りませんよ」

というではないか。私は、

「しつこく聞いてよかった??」

とほっとする反面、さっきの店員さんはいったい何をやっているんだろうと、だんだん腹が立ってきたのである。

年配に店員さんを、こちらはベテランだと思って頼りにする。不安なときは誰かに聞くなどしてくれればよいのだが、自信を持って間違ったことをいわれると困ってしまう。単に歳をとっただけの人は、さっさと接客担当からはずしてほしい。

肩書(28)

私が六年前に会社勤めをやめたときに、いちばん最初に感じたのは、これで肩書とは関係ないところで、生きていけるなということだった。私の場合、幸いにも、社長、部長、という肩書システムのなかで苦労したことはなかったが、まわりの人々を眺めていると、多かれ少なかれ、そうしても勤め人はそのしがらみから抜けきれないような気がした3 3

からだ。

ところがいざ会社をやめてみたら、この肩書という代物が前にもまして、へばりつくるのである。単発の仕事で原稿を渡す、必ずといっていいほと、

「肩書はどうしましょうか」

と編集者に聞かれる、いちいち考えるのは面倒くさいので、

「何でもいいです」

というと、むこうは、

「うーん」

と頭を抱えてしまうのだ。

一冊目の本を出したときに、雑誌で私のことを「エッセイスト」と紹介した文章を見て、

「私はエッセイストなのか」

と思う、肩書を聞かれるとそのように答えているのだが、実際、エッセイストというのはどういうものなのか、よくわかっていないのだ。 「物書き」がいちばん適切に私のやっている仕事を示っていると思うのだが、これは肩書としては、世の中に通用しないことばみたいなのである。そのうえ、物書きのなかに微妙なランク付けがあるらしい。小説集を出してときに、

「これで、群さんもやっと作家っていえますね」

といわれたので、

「どういうことですか」

と聞きかえしたら、エッセイストよりも、作家のほうが格が上だとういうのだ。

どうしてこの社会は、肩書がないと、許してくれないのだろうか。社会が肩書をお

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求め、そこにはランクが付けられている。個人の肩書によって、微妙な応対を変える人もいるだろう。逆に、そういう人々がたくさんいるから、肩書が必要になってくるのかもしてない。面倒な世の中である。

腹の虫(29)

私は知り合いと、昼間、お芝居を見にいったときのことである。最初はおなかはすいていなかったのに、時がたつにつれ

て、腹の虫がもぞもぞと動きだしてしまい、体内から「クークー」と小さな音を発し始めたのだ。この音が大きくなっていくの

は時間の問題であった。私は目の前のお芝居の展開よりも、腹の虫のほうが気になり、

(こんなことになるんだったら、やっぱりお昼はサンドウイッチじゃなくて、カツ丼にしておけばよかった???)

などとつまらない後悔までしてしまった。

ほんの小さな音だったのが、だんだん大きな音となって体内に響いてくる。

(どうしよう、どうしょう)

周囲に人はまだ私の腹の虫には気がついていないようであった。私はどうしたら音をごまかせるか、そればかりを考えて

いた。必要もないのにディッシュペーパーが入っているビニール袋をくしゃくしゃと音がするように握りしめたり、コホコホと

小さく咳払いをしたりした。腹の中にはいかにも大きな音をたてそうな虫が動く気配があった。

(ああ、もうだめだ???)

と思ったとたん、劇場中に、

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「ジャーン」

と大きな効果音が鳴り響いた。腹の虫が「グー」と大きな音をたてたものの、グッど?タイミングの効果音のおかげで、私 は命拾いしたのだ。

しかし運がよかったのはそのときだけだった。ますます元気になっていく腹の虫は、よりによって、芝居の山場で、観客

が固唾ののんで舞台を見詰めているそのとき、

「ぐおおおおお」

とまるで大地を揺るがすかのような大音響で、吠えてしまったのである。

前に座っていたおじさんは静かに私のほうを振り返り、音源を確認するとまた前を向いた。私は体中から汗を噴き出しな

がら身を縮めていた。そしてつらいながらも、好きな男性と一緒じゃなくて本当によかったと、安堵のため息をついたのだった。

スープ(30)

スープをぞろぞろぞろと音を立てて啜るのは不作法とされているようですが、あれはなるべく音をさせないで啜るよりも、なるべく大きな音をさせて啜った方が実はおいしい。うどんやおそばも、音をさせないよりも、させた方がずっとおいしいものです。けれども改まった席で、みんな方が音をさせないでスープを啜っているのに、一人だけぞーろぞろぞろとやっている人がよくいますが、あれはいやだ。あんな場合、少しぐらいまずくても、みんなと歩調を合わせていただきたいと思います。むろん音をさせたって、させなくったって、天下国家には何のかかわりもないことには違いないが。

一体に人体が発する音はいやなものです。しかし発する当人にとっては、発すると

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いうことは実に気持ちいいものです。そこで誰しも発すべきか、発せざるべきかという二者択一の前に立たされる。これは、まわりに人がいるかいないかできまることでしょう。しかし、まわりに人がいたら、なぜ発してはならないのか。その音が人に不快感を起きさせるから。では人が肉体のある部分で発する音は、ほかの人になぜ不快感を起きさせるのか。さあ、これがむずかしい問題です。スープをぞろぞろぞろと啜る音が、本人にはいさ知らず、他人には不愉快を覚えさせる原因は、音そのものいあるのか、はたまたそれによって表現されているところの傍若無人の態度にあるのか。ほかの人が音をさせてスープを啜りたいのを我慢しているのに、敢えて自分だけ音をさせてうまがっているのが、ほかの人にとって不愉快なのであろうか。 ではみんな音をさせて、満堂これスープを啜るぞろぞろの音ということにしたらいいではないか。みんながぞろぞろぞろなら、相子ではないか。恐らくむかしはその相子だったのだろうし、現在だって昼食時のそばやへ行けばこの相子でやっている。またそばを、音をさせずにもぐもぐやっているのは、継子がそばを食べているみたいで、どうもさっぱりとしないものです。

スープの音はまだしも、歯につまったものをチュー、チューという音をさせて吸い出そうとするのも耳ざわりなものですが、本人はあれをやらないと、気分がわるいので、ついやる。ようしを使えばいいが、ようしがない時はとても困る。しかもそうやって吸い出したものを、奥歯ではだめなものだから、前歯で御丁寧に噛み砕いて、呑み込む人をよく見かけるが、あれもあんまり気持のいい景色ではない。

そういうことはみな、どうでもいいといってしまえばそれまでだし、そんなことを一向に気にかけない人もいるけれども、気にかけ出すと、さあもうたまらなくなる。しかも自分がやっている分には、大変気持がよくて、一寸こたえられない。それを我慢して、そんな音は発しないようにするというのも、これはこれでやはり社会に生きていく上の礼3 7

儀でしょう。だけれども、考えてみれば変なもので、音そのものによしあしがあるというのはおかしい。

家賃(31)

ずいぶん前のことになるが、大手の建設会社から、私のところへ大きな郵便物が届いた。何の面識もないし、いったいどうしたんだろうと思いながら封を開けたら、中から出てきたのは新しくできたオフィス?ビルのパンフレットであった。都心の一等地にあってホテルのフロントのように係員が常時待機している。オフィスも広くて大きなソファーもある。ファクシミリからワープルまであって、何から何まで、至れり尽くせりの大サービスなのである。

「すごいわねえ」

と思いつつ、私の目は無意識のうちに、家賃がいくらか捜していた。そんな私の目にとまったのは、「三十万円から五十万円」という一行である。

「やっぱり高いなあ」

とため息をついたものの、どうも変なのである。もう一度よくよく見たら、私が家賃だと思ったのは共益費で、家賃は何と百万から二百万なのであった。家賃よりも共益費の数字の文字が大きいのはずるい。先方は何かのリストをもとにして、手当たりしだいにパンフレットを送ったのだろうが、私にはとうてい払える代物ではないのであった。

何年もひとっところにいると、世間の家賃の相場からだんだん感覚がかけ離れていってしまう。不動産屋の店頭に貼りだしてある物件の値段を見たりすると、こんなに上がっているのかと、またため息である。外から見て感じのいいマンションだったので、管理人さんに空き室状況と値段を聞いたらば、2LDKで三十万円、2LDKだと四十五万円といわれてしまって、よろよろとよろめきながら、1LDKの我の家へ帰ってきたことも

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このままでは、一度、賃貸住宅に住んだら、よほどのことがない限り、引っ越せなくなってしまうではないか。持ち家ははなからあきらめて、引っ越しが唯一の気分転換だった私にとっては、頭がくらくらするような現実であった。それにしても四十五万円のマンションには、いったいどんな悪いことをしている人が住んでいるのだろう。

地震(32)

東京について大地震がきても、おかしくない状況だそうだ。占い師が神様の声に従って、大地震がくる月日まではっきり予言しているが、それだけのことがわかるだったら、神様にお願いして、地震がくるのをとりやめてもらいたいものである。知り合いのなかには、

「その日は休暇をとって、地方に避難すす」という人まででてきて、今の東京で一番怖いのは、地震ではないかと思う。

ふだん地震があると、私はまず火を消し、窓や戸を開け放った後、揺れを感じないように、家のなかを走り回ることにしていた。これは少々疲れるが、地震の恐怖からのがれるには、結構有効な手であった。ところが大地震というのはこんなものではなく、ともかく歩くことさえできないらしい。となると、私は唯一使っているこの方法も、無効になってしまうのだ。

やはり非常持ち出し袋をつくり、準備万端整えておかなければならないと思い、必要なものをリストアップして、押入れの奥深くに突っ込んでいたディパックに詰め込んでみた。水、缶詰め、ラジオ、着替え、薬、印鑑、通帳、懐中電灯。最低限必要なものを入れても、頭のなかには次々なものが浮かんでくる。着替えも水も、もっとあったほうがいいんじゃないかと、きりがない。

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とりあえず、必要だと思う分を全部ディパックに入れた。そして試しに背負ってみようとしたのだが、これが重たいのなんの。ものすごい力で「うーん」とうならないと、持ち上がらない。はずみをつけて背負おうとしたら、そのまま前につんのめりそうになった。まるで私はスズメのお宿で大きなつづらを選んだ、欲ばり婆さんのようであった。

荷物を減らさなければ身軽に逃げられないが、どう考えても中に入れたものは、皆必要な気がする。自分のことは自分で守らなければならないと思ったらなおさらだ。こんな調子で何かがあったら無事に逃げ出せるのか、不安になっている。

方向オンチ(33)

方向オンチ直し方ってないものかといつも私は悩んでいる。 どこでそうなったか考えてみると、方角に弱いのは小さいころからだった。小学生のときに学校で、東西南北を教わったときに、

「北にむかって、お箸を持つ手のほうが東、お茶碗を持つ手のほうが西です。」といわれた。私はそのときは納得したのだが、家に帰ると頭が混乱した。私の父親は左利きだったので、並んでご飯を食べていると、違う方向にお箸を持っていることになる。私にとって東と、父親にとっての東が違うのである。

「いったいうちでは東西南北はどうなっているんだろう」と、首をかしげたまま、先生にも聞かずにほったらかしておいたので、そらが未だに尾をひいているのではないかと思っているのだ。

たとえば引っ越した直後、最寄りの駅からアパートまでまともに帰れたことがない。最低二度か三度は近所で遭難する。ぐるぐると付近を三十分程度歩いたげく、

「はて、アパートはこんなに遠かったかしら」とやっと迷っていることに気がつく始末なのである。

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友だちの間でも私の方向オンチは有名で、一緒に出かけるとなると、今度はなにをやらかすかと楽しみにしているようである。先日も博物館にいって食事をしたあと、つい一時間ほど前に入り口を通ったはずなのに、どういうわけか平気な顔をして厨房に入っていったしまった。そのときもコックさんと目が合って、初めて間違えたことに気づくのだ。私の背後では友人が、無関係な他人というようなそぶりをしつっも、顔を真っ赤にして笑いをこらえている。どこかに遊びにいくときも、ヘタな場所だと迷うので、待ち合わせはいつも駅のホームである。それも絶対迷わない、進行方向の一番前だ。そこにボーット立っていると、とってもむなしくなってくる。友だちは喜ぶけれど、方向オンチの苦しみは、方向オンチにしかわからないのである。

兄妹(34)

私には弟がひとりいるのだが、小さいときからお兄さんが欲しくてたまらなかった。おやつをもらうときも、弟を横目で見ながら、

「こいつさえいなければ、全部私のものになるのに」

とがっかりした。お兄さんだったら、

「ちょうだい」とねだったら、可愛い妹のために、気前よく自分の分をくれるのではないだろうか。喧嘩したときも弟は、すぐピーと泣いて母親に救いを求めたりして、どうも私は割に合わない立場にいるような気がしていたのである。

ところがお兄さんがいる人に聞くと、

「あんなもん、ちっともよくありませんよ」とボロクソにいう。話を聞くと彼女のところは、ふたりが大学生になっても、取っ組み合いの大喧嘩をしていた。それも血も見るほどの殴り合いなのである。最初は口喧嘩から始まるのだが、だんだんエスカレートしていって、我慢し切れなくなった彼女が、両手の指でお兄さんの顔面を力一杯ひっかく。4 1

伸ばしている爪のせいで、彼の顔面にはうっすらと幾筋も血が滲んだ。すると激怒したお兄さんが反撃に出て、これまた力一杯彼女の横面を張り倒し、そのあげく彼女の歯は折れ、口の中を切って双方流血の大騒ぎとなった。花瓶は割れるわ、椅子は宙を飛ぶわで、まさに何でもありという感じなのだ。騒ぎを聞きつけたお母さんは、自分のまわりを飛び交う物を器用によけながら、二人が取っ組み合っているそばで、

「たったふたりの兄妹なのに、お願いだから仲良くしておくれ」

とおいおい泣く始末。うちの場合は取っ組み合いの喧嘩などしたことがなく、してもつねったり頭をはたいたりくらいのものであった。彼女は。

「あれは兄妹喧嘩のうちでも、昭和史に残る名勝負でしたね」

と淡々と感慨深げにいっていたが、私はただひたすら驚き、兄がいなくてよかったと胸を撫で下ろしたのであった。

犬(35)

先日、友人の家に遊びにいったら、近所の家にもらわれていったはずの柴犬のハナちゃんが、母犬と一緒に庭を走り回っている。いったいどうしたのかと聞いたら、里親の飼い方があまりにもひどかったので、話し合いをして連れ戻してきたというのだ。最初のころはハナちゃんの里親も家族でかわいがっていたが、そのうちに水と餌用の器は犬小屋の前に置きっぱなしになった。空になっていたら奥さんが水とドッグ?フードを補充するだけの「犬権無視」のひどい状況だったのである。

それを発見したのは、町内の動向をすべてチェックしている隣りのお婆さんだった。ハナちゃんがいつも眉間に皺をよせてつまんなそうな顔をしているし、犬小屋のまわりで用を足している姿を見て、これはおかしいと偵察を始めた。その結果、ハナちゃんは散歩にすら連れていってもらっていないことがわかり、彼女はすぐさま、

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「あれではハナちゃんがかわいそうだ」

と友人のお母さんにいいつけた。あわてて様子を見に行くと、ハナちゃんはお母さんのほうを見てちぎれんばかりに尻尾を振って甘えて鳴くばかりである。ただ餌と水をやっていればいいというものではないと友人一家は怒り、

「持て余していらっしゃるようですから」と引き取りにいった。いけないことをしたらきつく叱るかわりに、ふだんは話しかけたり頭を撫でてやる。散歩などは当たり前。こういうことができない人は、犬のほうが迷惑するので飼うのはやめたほうがいい。やっと飼い犬らしい生活ができるようになってから、ハナちゃんの眉間の皺も消えたのである。

友人の話によると、里親だった一家が生け垣のむこうから、

「ハナちゃん」

と声をかけることがあるらしい。しかしハナちゃんはほったらかしにされた憎しみが未だ消えないのか、どんなに彼らが大きな声で名前を呼んでも、そっぽをむいて聞こえないふりをしているらしい。

筆字(36)

いろいろな式を招待されて、受付で芳名帳を見ると、私は、一瞬ギョッとしてしまう。最近ではサインペンが用意されているから、多少、気が楽になったが、筆しか置いてなかったころは、冷や汗ものだった。

私は筆で字を書くのが、すさまじく下手なのだ。おさなじみの結婚式の受付では、彼女のおかあさんが私の書いた字を見て、

「あらーっ」

と絶句したくらいである。受付の人がこちらの名前を確認するために、じっと手元を見ていると思うと、手はますますこわばってくる。そしてその結果は、ただでさえ下手4 3

なうえに緊張が加わり、ぶるぶると震えた情けない筆文字が、みっともなく並ぶことになる。まだ自分ひとりが書くのならいいが、芳名帳みたいに何人かの字が並ぶともう最悪。どうしてこんなに上手に書けるのかと、憎たらしくなってくる達筆の人々のなか、私の字だけまるで幼稚園児が書いたかのようだ。もしかしたら無邪気な分、幼稚園児のほうが味がある字が書けるかもしれないとため息が出てくる。このごろは受付で字の下手そうな人を狙って後ろに並び、自分の悪筆を目立たせないように努力しているのだが、たまに予想がはずれて自ら墓穴を掘ってしまうこともあるのだ。

しかしこれでも小学校の習字の成績は、最初は5だった。先生が、

「字がうまいとか、下手とか考えないで、子供は大きく字を書けばいいんだ」

といったので、私は手をふてまわして、紙からはみ出すような字を書いていた。ところがのちに先生が変わったとたん、ばかでかい野蛮な字といわれ、いっきに点数は2になってしまった。でも私はでかい字を書くのが好きだったので、先生に何度注意されても無視していた。

その報いか、今になってこのざまだ。会が終わって受付の前を通るとき、芳名帳に残した自分の墨団子のような字を思いだすと、人の目を盗んで芳名帳をかっぱらって帰りたくなるのだ。

体操(37)

小学生のとき、体育の時間に平均台から落下して以来、私は器械体操が苦手になった。体操部にいた同級生の女の子は、平均台の上で足を振り上げたり、男の子は鉄棒で連続逆上がりをしたりと、いろいろな技を披露した。苦労した末にやっと跳び箱が跳べたと思ったとたん、箱の角でお尻をしこたま打ったりする私からみれば、それはとてもものすごいことだった。

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小学生程度の実技でもたまげてしまうので、たまたまテレビで大学生や社会人の実技や、世界選手権などを見る機会があると、口をあんぐりと開けたままで閉じるヒマがない。だいたい鉄棒であんなにぐるぐるまわっていながら、鉄棒から手を離しても着地するまで空中でぐるぐるまわっているなんて信じられない。猫ならまだわかるが、彼らもあれだけ回転しながら、すっくとマットの上に立ち上がる。にっこり笑って両手を上げる余裕さえあるのだ。

女性のほうも幅があれだけしかない平均台の上でV字バランスはするわ、とんぼがえりはするわ、ふつうの人が平たい地面でもとうていできないようなことをやってのける。一本の鉄棒ですら四苦八苦するのに、彼女たちは段違いに二本ある鉄棒の間を素早く空間移動したりするのである。彼らの三半規管はいったいどうなっているのか、覗いてみたいくらいだ。

彼らのやっていることは、基本的にはどれもこれも神業である。それなのに「何点」と点をつけられるのだから、恐ろしい。ふつうの人間だったら、あれだけ空中でくるくる回ったら、まともに着地などできるはずないのに、空中の姿勢が乱れた、着地の時にちょっと足の位置がずれたといっては減点される。お気の毒としかいいようがない。十点満点が出ると、

「これはお見事」

と拍手するけれど、体操競技のためにつくられた人造人間みたいな気がしないでもない。これからどんどん技がエスカレートしていったらどんなふうになるのだろうか。私はただただ驚嘆しながら、テレビを見ている。

貴重な旅(38)

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久しぶりに知人と会うと、必ず、「どこか旅行に行きましたか」と聞かれる。出不精な私の返事はいつも「いいえ」なのだが、相手はこまめに海外へ足を伸ばしている。ただの買い物旅行ではない、彼らの話を聞くのは楽しいが、中には冷や汗ものの話をしてくれる人がいる。

ある女性は、人があまり行かないところに異常に興味を示す癖がある。もちろんツアーには参加しない。日本に帰る日だけ決めておいて、東南アジアの奥地とか、中南米に一人でひょこひょこ行ってしまうのだ。

そのなかでいちばん驚いたのは、中南米に行ったときに、麻薬の運び人と間違われて、隣国にスムーズに出国できず、足留めされてしまったという話である。何日かその国にとどまっていれば、不審人物にされなかったのに、通過するだけだったので、疑われたのだ。

言葉がよくわからない彼女が、

「私は無実だ」

というつもりのジェスチャーを一生懸命やっても、担当官は、

「遠い日本からわざわざやってきたというのに、我が国に一日も滞在しないのはおかしい」

と、疑いのまなこを彼女に向けたままだというのであった。

彼女は特別に人相が悪いわけではなく、どちらかといえば優しい顔立ちなのに、運び人と間違えられたということで、あちらの国々ではいかに麻薬が大問題になっているかがわかった。すったもんだのあげく、半日後、やっと彼女は解放されたが、それも担当官がしぶしぶという感じだったという。「取り逃がした」という顔つきの、彼の視線を背中に感じながら、彼女は「私は無実だもん」とぶつぶついいながら、出国したそうだ。

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無事に旅を終えて日本に帰ってこられたからいいようなものの、一歩、間違ったら大事になるところだった。

「へたをしたら、終身禁固刑だったかもしれません」

と彼女は豪快に笑った。確かに貴重な経験をした旅にはなるけれど、私にはそんな旅はとてもできないのである。

一日だけの靴(39)

本の印税がはいったので、たまには身に着けるものでも買おうと、ちょっと値の張る靴を置いている店にいった。私はふだん運動靴やぺたんこ靴の愛用者であるので、ちょっとヒールのある靴を買うときはとても緊張する。ただでさえ甲高幅広の足だからそれに合う靴を捜すのに一苦労なのである。ところがその店に置いてあった有名ブランドのその靴はデザインもよく、おまけに私の難点だらけの足にぴったり合ってこのうえもなく幸せな気分になった。そのなかで一番気に入ったクリーム色の中ヒールを買った。一万円札が五枚とんでいったが、そのときはやたらと気分が大きく太っ腹になっているので、そんなことちっとも気にしなくなっているのである。

ところが初めてその靴を履いて出かけたら、夕方から大雨になって靴がびしょ濡れになってしまった。家に帰って紙を中に詰めて水分を取ろうとしたものの、次の日になってもクリーム色にグレーのだんだら模様がしみついて取れない。そのとき突然、今まで忘れていたはずの、五万円という金額が頭の中にうずまいた。一瞬のうちに小心者と化してしまった私は、おろおろして靴を買った店に持っていったが、店員さんは申し訳なさそうに「残念ですがこれは直りませんねえ。こういういい靴はやはり車をお使いになる時に履かれたほうが?」

とやんわりといった。つまりこれは都内を車で移動する、雨風の影響を受けない人4 7

が履くのにふさわしい靴だったのである。「足腰が弱る」と車は使わず、一駅、二駅は平気でずんずん歩いてしまう私に履かれてしまった靴のほうがかわいそうという雰囲気だった。

五万円の靴を一日でダメにしたことで、いくら有名で値段相応のいい商品でも生活スタイルに合わないものは何の役にも立たないことを思い知らされた。私には値段も手頃で分相応の靴がほかにあったはずなのだ。「こういうことで人はいろいろ学んでいくんだわ」と自分をなぐさめたものの、やはり一日で五万円というダメージは大きく、このところ悲しい日々をおくっている。

スチュワーデス(40)

男の子たちが「スチュワーデス」と聞くとぱっと目を輝かせるのを見ると、私は嫉妬も含めて、「けっと」と思ってしまう。たしかに宙に浮きながら、いつもにこにこしているのは大変である。とてもじゃないけど私にはできない。容姿端麗で語学堪能とあれば、男の子たちがでれっとするのは当たり前なのかもしれないが、なかにはちょっと勘違いしているスチュワーデスがいるのも事実である。

仕事でパリにいったときのことだ。明日の出国を前にして、私は編集者と一緒に取材を終え、宿泊しているホテルの前で、

「空港行きのバスはどこから出るのか、聞いておかなきゃいけないわね」

と相談していた。するとそこにたまたま制服姿で、荷物を持った若いスチュワーデスが通りかかった。私たいは彼女も同じホテルに宿泊するのを察知して、

「空港行きのバスは、どこから出ているか知りませんか」と聞いてみた。すると彼女はつんとして、

「さあ、あたくし、存じませんわ」といって、すたすたとホテルのなかに入ってし

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まったのである。言葉づかいはあくまでもていねい、しかし態度はとてもでかいのであった。私たちはあっけにとられながらも、フロントでバスがホテルのすぐ横から出発することを教えてもらい。翌日、無事、飛行機に乗ることができたのだった。

シートベルトを締め、ふと前をみると、何と昨日のでかい態度のスチュワーデスが搭乗しているではないか。名前をしっかりチェックしたあと、運の悪い彼女のことを思うとおかしくて、私と編集者はクスクス笑っていた。彼女は航空会社の広報担当者と一緒にいる私たちと目があって、一瞬ギョッとしていたが、何事もなかったかのように、つんとすましていってしまった。さすがに成田に着くまで、一度も私たちのそばには寄ってこなかったが、あのくらいの図太さがないとスチュワーデスはつとまらないと、空の上で感心してしまったのであった。

ファン(41)

古本屋に行って、偶々、自分の本が書棚にあるのを見るのは、作家にとってあまり気持ちのいいものではない。

特にそれが力をこめて書いた作品であると、

(どうして、いつまでも愛読してくれなかったのか)

という不満が一寸、心に起るのは止むを得ない。

自惚れるなと自分で言い聞かせてみるが、これは私だけでなく、すべての作家の気持であろう。

逆に新本屋に行って、たまたま、私の著書を買ってくれている人を目撃すると、非常に嬉しい気のするのも人情であろう。その人の本に悦んでサインをしたい衝動にかられるぐらいである。

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逆に、しばらく私の本を取り出して、考えこんで、迷った揚句、また書棚に戻し、その隣のある別の本を買ってしまう読者をみると、

(チェッ)

と舌打ちをするのも当然の話だ。

作家など、聖人でも悟りをひらいた男でもないから、このくらいの感情は許してもらいたい。いつだったか、こんなことがあった。

Tホテルのティー?ルームでお茶をのんでいたら、一人の青年がつかつかと寄ってきて、「あの?遠藤さんでしょうか」と声をかけてきた。

私は自分の読者だと思ったから、平生の仏頂面を捨てて、出来るだけ愛想よく、

「ええ、そうですよ」

「あの?二十ほど、お話していいでしょうか」

「どうぞ、どうぞ」

ファンは大事にせねばならぬ。私はボーイをよび、紅茶をもう一つ、彼のため注文してやったのである。

ところが、この青年、

「遠藤さんは、北杜夫さんをよくご存知だそうですね」

「ええ、よく知っています」

「ぼくは、北さんの大ファンなんです。ですから北さんの話、聞かせて下さい。あの人は実生活でもあんなに楽しい人ですか。本を読むと実は魅力的ですねえ」

私のとってやった紅茶を飲みながら北、北と北の話ばかりする。

(チェツ)

真実、私は胸中、舌打ちした。この紅茶代、北にまわしてやろうかと思ったぐらいだ。

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