论雪国(日语论文)

2020-03-03 03:29:48 来源:范文大全收藏下载本文

[论文]『雪国』の美の再検討 はじめに

『雪国』は昭和10年1月から『文芸春秋』、『改造』その他の諸誌に断続発表され、同22年10月『小説新潮』の稿で完結した。

これまでは『雪国』関係の研究論文は数多く発表され、今その美しさを再検討するのは余計なものではないかと多くの人はそう思うかもしれない。けれども、文章を論ずる角度は様々なのであるから、その角度を変えて『雪国』の美しさをもう一度論ずると、また多くの新しいものを発見できると確信する 故、本文を書くことにした。

一.

前述したように、これまでの評論は主に以下の幾つかの面をめぐって展開されたものである。本文の論述を展開する前に、まずそれらの諸観点を簡単に列挙しておこう。 1.1構造の美=『源氏物語』形式

『雪国』は長い間隔をおいて、一章、一章、半独立短編といった形式で......とは当然『雪国』の構成にも関係があるわけである。......それは一見ばらばらになって、一つのしっかりとした整体になりそうにもないが、実は一種の美の表現である。ここで、ひとまず映画を例にして説明しておこう。......その物語をよく理解できる。というように、細かいものを現さないことによって、見る人に想像の余地を与えるからこそ、映画は一層魅力的になりえる。と同様、『雪国』もそういう仕組みである。 1.2新感覚派的な表現技法の美

新感覚派の代表作家である川端康成は文学の技法や表現の革命をめざし、実際の感覚を重んじる。『雪国』の中に、こういう新感覚派的な美文が多くある。例えば、......その底の部分は勿論大地である。?トンネルを抜ける?までは、雪がないから、?夜の底?は黒いものであるとは言うまでもない。?トンネルを抜ける?と雪国に入るから、何もかもすべてのものが雪に覆われているため、?夜の底?も?白くなった?わけである。これは主観的な感覚からの描写だということは極明瞭だ。所謂?新感覚派?的な表現技法である。文章の中に、こういう例はまた数多くある。このような描写の美しさは他に類を見ない。 1.3文体の美=詩的文体

『雪国』には、詩的文体の典型を見ることができる。雪の精を感じさせるような駒子(こまこ)や葉子(ようこ)の描出、朧化法(ろうかほう)による肉感的膨らみなどについては、もう多く言葉を費やす必要もあるまい。

これまでの批評などで挙げられる『雪国』の美しさはまた多くあるが、ここで、一々列挙する必要はない。これらの論述は確かに素晴らしいけれども、.....これは、一見あまりにも大袈裟な言い方だと思う人はかなり多いかもしれないが、とにかくそれらの疑問や不信を側において、論述を進めていかせよう。

では、如何にして初めて、川端的な美の世界を発見できるか。

まず、川端の美意識、とくに『雪国』を書いた時の美意識を究明することである。つまり、川端は一体どんなものを真の美しいものとするかという問題である。それは正しいか否かは別として、それをよく理解する上で、川端の感じた美を感じ取り得、『雪国』の真の美世界を見出せる。

次に、『雪国』の美世界に溶け込むことである。川端の美意識を理解する段階に止まってはいけない。理解はただの前提である。自分を『雪国』の美世界に委ねていながら、『雪国』を読んではじめて、その美の極意が分かり得ると思う。 では、川端の美意識を究明することに目指して、論述を進めよう。

二.

川端は二才の時父を失い、三才の時母を失って孤児となった。その後母の実家に移り、祖父母と一緒に住んだ。......となった。『葬式の名人』には葬式の名人と呼ばれるほど葬式慣れしてしまった青年期の川端の姿が描き出されている。川端は莫大な苦痛に陥った。が、その時仏教の諸思想が川端の救いとなった。たとえば、?輪廻転生(りんねてんせい)?、......日本は戦中戦後の未曾有の動乱期に入った。川端は虚無の埒外(らちがい)に芸術という絶対的価値を発見した。彼は迷いなく芸術至上主義者に変身して、絶対的な存在としての芸術の永遠性を確信した。永遠に生命を失うことのない美世界に身を委ねることで、自身の芸術も永遠であることを希求したのである。

では、川端は『雪国』において、どのように自分の美世界を展開したのか。ここで、一緒に分析しておこう。

三.

3.1『雪国』の美の構造=無償の美

今述べたように、『雪国』を書いたときの日本社会は混乱期に入り、川端自身も虚無主義に陥った。人間の生命、文学の営為など、一切のものは?徒労?になると氏は思った。......一口に言えば、『雪国』の美は現世放棄の土台の上に得られる無償の美である。 それを『雪国』の中の人間像と組み合わせて、論じてみよう。 3.2駒子と葉子

駒子は病気になった許婚者の療養費を作るために芸者になったが、親譲りの財産で無為徒食していた島村を愛していた。?島村のなにも駒子には通じていそうにない?にもかかわらず、駒子は依然として、ひたずらに島村を愛していた。駒子は島村にとっては逃避世界である雪国での、......れ、無償の美を感じさせた女性像である。

葉子も狂気を予感させるようなひたむきな生き方をしていた。その許婚者を最後まで愛し続けた?悲しいほど美しい声?を持つ存在である。そこにも、一種の無償の美が窺われ得る。 3.3島村の形象

『雪国』では、駒子も葉子も島村という奇妙な人物によってはじめて、息を吹き与えられており、我々は島村を通さずには決して彼女たちを見ることはできない。島村は東京という現実世界から離れて、雪国へ来た。それはある種の逃避であるとも言えよう。彼は現実から逃避した雪国でこそ、......むしろ川端の現世放棄と無償の美などの理念の代理像という性格を持たせられていることである。島村を?意識してなるべく自分と離して書いた。?と氏もこう言った。

とにかく、『雪国』では人間の一切の営為をむなしいものとし、世間のあらゆる功利性を退けてはじめて得られる無償の美を真の美とする。この美は最も貴重なものであり、他のものはすべて空しいものである。『雪国』では、許婚者、葉子など何人かが死んだけれども、川端は漠然とそれを書いた。『雪国』の美世界を描き出すことに比べて、そうした人間の生死は言葉を費やすことに及ばない。

終わりに

前述したように、『雪国』の美を検討する際、ただ内容や技法などの表面的なものから論じていくのは物足りない。川端の美意識を究明し、『雪国』の美世界に身を委ねて初めて、......そのようにして始めて作者との心の交流ができ、作品の真の美を発見し得るわけである。これが本文を書いた初心である。

参考書目:

①、『雪国』 (川端康成) 尚 永清 訳 商務印書館 1997年 ②、『日本文学鑑賞辞典』 吉田 精一 編 東京堂出版

③、『川端康成』日本文学研究資料刊行会編 有精堂 昭和55年

④、『川端康成の人間と芸術』 川端文学研究会編著 教育出版センター 昭和49年

付 言:

時間の不足、資料の不足はこの論文がもっとうまく行かない原因として、私を悩ませていたが、特に本論の(一)の総説の部分は事例が足りない気がして残念です。

本論文作成中、ご多忙中にもかかわらず、登坂勉、紀久子先生から貴重なご指導を頂きまして、ここで心から感謝を申し上げます。

雪国

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